前のページに戻る
 
【創立10周年記念のあゆみ 『井戸を掘ってくれた人を忘れない』】
社団法人 島根県建設業協会出雲支部青年部会
部会長 久文 秀典

 われわれ出雲支部青年部会は「次世代を担う若き建設人の資質向上」と「時代の過渡期における協会組織力の強化」を創立の趣旨に掲げ、平成9年7月17日、部員数58人をもって発足いたしました。
 創立時のメンバーには、県青年部会の初代会長ともなられた山本恭則氏(初代部会長)をはじめ、後年、県副部会長ともなられる今岡裕統氏(第二代部会長)、別所幸雄氏(第三代部会長)、そして前期まで県部会長を務められた広戸修氏(第四代部会長)ら、そうそうたる顔ぶれがキラ星のごとく名前を連ねられ、各方面からも大いに将来を嘱望されての船出でありました。
 以来10年・・・、偉大なる先輩諸兄は期待に違わず、熱き情熱と卓越したリーダーシップをもって精力的に事業に取り組まれ、創立の趣旨に勝るとも劣らぬ素晴らしい実績を積み重ねてこられました。
 今日あらためて青年部史をひもとくに、先輩たちが情熱を傾けられた数々の事業が思い出とともに鮮やかによみがえってまいりますが、残念なことに創立準備段階のドラマについては、私の記憶には鮮明に残ってはいるものの、正史にはほんのわずかしか記載されておりません。
 「このままでは、青年部の創立にかかわった方々の功績が風化してしまう。」
 私はこのたび10年の節目を迎えるにあたり、「青年部誕生のいきさつ」を知る最後の部員として、それを語る使命を痛感した次第であります。

 ・・・今をさること10年の昔、「業界の将来のためにも、次世代幹部の組織化は必ずや成し遂げなければならない!」と公言される県協幹部がいらっしゃいました。当時の本県業界は、現在とは比較できないほどに恵まれた環境にあり、いわば太平の時代を享受していたわけで、新たなる内部組織の必要性など、氏のほかには誰も考えていませんでした。
 しかし、氏はまったく臆すること無く、当時県の協会長であった故藤井忠孝氏と直談判し、半ば強引に組織化準備の同意を取り付けられると、すぐに全県行脚を始められました。(支部ごとに、まずは青年部を立ち上げさせ、続いて連合体としての県組織を思考されたわけです。)
 ところが・・・設立50年を経て巨大化し、硬直化した組織は決して一筋縄ではいきません。・・・「何でそんな組織を作る必要があるのか?」とか「支部を越えた活動など何の意味があるのか?」といった猛烈な議論が浴びせられたかと思うと、ある支部の代表からは「そんなことやってもムダ!」といった無気力な態度を見せられることもあり、まさに、一時は立ち上げさえも頓挫しかねないという状況でありました。

 しかし、いかに困難があろうと氏は終始一貫して「青年部は協会のため、業界のために必ず必要となる!」と訴え続けられ、各方面に粘り強く交渉を重ねられた結果、氏の「思い」はついに現実化するに
至りました。まさに大願成就、思う一念は巨岩をも動かしたのであります・・・。この氏とは、・・・誰ありましょう、現出雲支部支部長 中筋豊通氏 その人でありました。
 われわれ出雲支部青年部はかくの如き偉大な先人たちのご指導よろしきを得て、現在に至るも、ゆるぎない強固な結束力を誇り県青年部会の中核として存在することを期待され続けております。時にはそのご期待が重く思えることもありますが、これもわが支部の宿命と肝に銘じ、精一杯頑張っていく所存です。わが部会の究極の存在理由は「共存共栄」、そしてその原点にあるは『井戸の水を飲むときには、井戸を掘ってくれた人の恩を忘れず』であります。

| HOME | 新着情報 | 協会の概要 | 青年部のご案内 | 会報のご案内 | 地域づくり | 会員紹介 | リンク |
Copyright (C) Associated General Constructors of Shimane,Izumo Dept., All Rights Reserved.
画像及び文章の無断転載・無断引用・販売等は固くお断りします。
E-mail:izumoken@orange.ocn.ne.jp